I.D.F.

Independent Disciple fellowship

「霊・魂・体」の救い

 

「救い」とは


ギリシャ語「SOZO」は、救い、癒し、解放を意味している。

聖書の提示する「救い」とは、解放、健康、保護、など色々な意味があり、それらの意味を総合すると「すべての危険からの脱出、すべての欠乏からの解放」として、表現できる。

人は、創世記の記述にあるように、「神のかたち」に造られている。
神の御名(単数形)が「父、子、霊」であるように(マタイ伝28:19)、三位一体の「神のかたち」に造られた人は、「霊・魂・身体」によって構成されており(Ⅰテサ5:23)、「救い」もそれぞれの構成部分に備えられている。

多くの「キリスト教の会」では、霊と魂を同義語と考えているが、聖書は、霊と魂を区別している。
@Ⅰテサロニケ5:23
@へブル4:12
@Ⅰコリント5:5
@Ⅰペテロ1:9

人の「霊・魂・身体」の構造は、モーセ律法に記されている「幕屋」の「至聖所・聖所・庭」に、それぞれ該当しており、「霊=至聖所」、「魂=聖所」、「身体=庭」として、考察することができる。

エスは、ヨハネ伝1:14「幕屋を張られた/住まわれた」と記述され
ペテロは、Ⅱペテロ1:13「地上の幕屋にいる間」、同14「幕屋を脱ぎ捨てる」、パウロは、Ⅱコリント5:1-4「住まいである幕屋」として、人の存在を「幕屋」として表現している。

モーセの「幕屋」の構造、至聖所、聖所、大庭、と、霊、魂、身体は対比させて考えることができる。

@マタイ伝27:51
すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。

至聖所と聖所の隔てが、神の方法で(へブル10:20)、取り除かれた。
それは、霊と魂の隔てが取り除かれたことを示唆している。

へブル9:4の「金の香壇」の位置に注目 ⇒ 出エジプト30:1-8
キリスト者は、霊が再生され、霊と魂は一体となっている。

霊の救い


この救いは「罪の刑罰からの救い」であり、地獄(ゲヘナ、火の池、第二の死)からの救いを意味する。
ヨハネ伝3:16、ヨハネ5:24、ローマ6:23、黙示録20:15)

この救いは、恵みと信仰による。(ローマ10:9-10、エペソ2:8)

この救いは、聖霊による「キリストの御身体に属するバプテスマ」を受けることで与えられる。(Ⅰコリント12:13)

この救いは、人の「霊」に「キリストの霊/御子の霊」が内住することで与えられる。(ローマ8:9)

この救いは、いのちの水が湧き出る。(ヨハネ伝4:14)

この救いは、イエスの血が、御父に対して証をする。
(ルカ22:20、へブル9:11-12)

この救いは、神の息子(相続人)としての立場を与える。
ヨハネ伝1:12、ローマ8:14-17、ガラテヤ4:6)

この救いは、モーセの「幕屋」に表された「至聖所」が雛型。
そこには「契約の箱」があり、それが示すものはすべてが「キリスト」。
そこに年に一度入ることができる大祭司も、「キリスト」の雛型である。


@マタイ伝27:51
すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。

至聖所と聖所の隔てが、神の方法で(へブル10:20)、取り除かれた。
それは、霊と魂の隔てが取り除かれたことを示唆している。
へブル9:4の「金の香壇」の位置に注目 ⇒ 出エジプト30:1-8
キリスト者は、霊が再生され、霊と魂は一体となる。

この救いは、
・新生:包括の原理(共なる死)による新創造。罪(Sin)からの解放。
・義認:代償の原理(身代わりの死)による罪々(sins)の赦免。
・聖別:神の小羊キリストの血潮による分離(この世からキリストの中へ)

画像

魂の救い

この救いは、「罪の力からの救い」であり、世の誘惑に打ち勝つ。
(Ⅰペテロ1:8-9)

この救いは、献身と従順による。
(エペソ5:1、ヤコブ1:21-22、Ⅰペテロ1:13-16)

この救いは、継続的成長過程にある(エペソ4:14-15、Ⅰペテロ2:2)。

この救いは、キリストによる「聖霊バプテスマ」を含む(使徒1:4-5、2:4)。生ける水の川々が流れ出る(ヨハネ伝7:38)。
聖霊キリスト者自身に証をする(ヨハネ伝14:16、エペソ1:13-14)。

この救いは、モーセの「幕屋」に表された「聖所」が雛型であり、そこでの祭司が日々の務めにより、予表されている。聖所には「香壇、燭台、机」が備えてあり、その香壇は良い香を焚くことにより「霊拝と祈り」を、その除夜灯である燭台は「聖霊の照明」を、その机にはパンが整えられていたように「整った聖書理解」を、示唆している。

この救いは「健化」
霊のいのちが、魂に浸透する。
・「キリストの思い」の現出(Ⅰコリント2:16)
・霊の実(ガラテヤ5:22ー23)
・肉(魂+体)にある古い思考から、御言葉による思考の一新
・再生の洗いと聖霊による刷新(水のバプテスマ聖霊バプテスマ

身体の救い


この救いは、「罪の存在からの救い」であり、「内在の罪」からの完全な解放をあたえる。

この救いは、奉仕者による「水のバプテスマ」によって予表される(使徒8:38)。

この救いは、将来あたえられる「救いの完成」である。
(Ⅰテサロニケ4:17、Ⅰコリ15;51-54、Ⅱコリ5:1-2、Ⅰペテロ1:5)

この救いは「栄化」
・新しい霊の体を着せられる(Ⅰコリント15:42ー54)


※補足:キリスト者の身体について

キリスト者の身体は、神の神殿とされている、
(Ⅰコリント3:16、Ⅱコリント6:16)

キリスト者であることの公の表明として、「水のパプテスマ」によって、世に対して、見える領域と見えない領域に証される。(使徒2:38、8:12、18:8)

モーセの「幕屋」の大庭には、祭壇と洗盤があり、祭壇は「献身」(マタイ10:18、16:24、ローマ12:1-2)を、洗盤は「御言葉による思索」(出エジプト38:8、エペソ5:26)を想起させる。