I.D.F.

Independent Disciple fellowship

十字架の二面性②

 「罪」の単数形と複数形 


日本語の聖書では同じく「罪」という表記になってしまっているが、英語では単数形[sin]と、複数形[sins]で表現され、それぞれ意味が異なる。
 


@Ⅰヨハネ1:8-9
【恊共訳】【TEV】
1:8 自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理は私たちの内にありません。
If we say that we have no「sin」, we deceive ourselves, and there is no truth in us.
1:9私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、あらゆる不正から清めてくださいます。
But if we confess our 「sins」 to God, he will keep his promise and do what is right:
he will forgive us our 「sins」 and purify us from all our wrongdoing.
 
 *単数形:内住の罪:外来の異物
 *複数形:罪過/罪々:思考と言動の違反、失敗

 

@ローマ7:15-17
【恊共訳】 7:15 私は、自分のしていることが分かりません。自分が望むことを行わず、かえって憎んでいることをしているからです。7:16 もし、望まないことをしているとすれば、律法を善いものとして認めているわけです。7:17 ですから、それを行っているのは、もはや私ではなく、私の中に住んでいる罪なのです。

【TEV】7:15 I do not understand what I do; for I don't do what I would like to do, but instead I do what I hate.  7:16 Since what I do is what I don't want to do, this shows that I agree that the Law is right.  7:17 So I am not really the one who does this thing; rather it is the sin that lives in me.

 

 「内住の罪」を説明する際に「罪の性質」という表現が使われるが、これは正確ではない。「性質」というときには、その性質を持っているのは「私」ということになるのだが、「内在の罪」は、私の性質ではない。

「うちに住む」「うちに宿る」と訳されているとおり、私のうちにある「外来の異物」である。たとえるとすれば、敵の放った矢が刺さり、その矢じりが体内に残ったような状態。
 
「イエスの十字架で罪は赦された」と言われるが、この「赦された」という「無効」とされた「罪」は、代価を払って無効にしたのは罪過「sins」であって、内在の罪「sin」ではない。


「内在の罪」は贖われていない。この「内在の罪」という「外来の異物」は、この身体に依然として留まっており、機能しているままである。

 

*複数形:罪過/罪々「sins」
複数形である「罪過/罪々」、すなわち「罪の行為」は、「内在の罪」による産物。
キリスト者となっても、「内在の罪」は身体に依然として留まっており、機能している。そのため、キリスト者も罪過「sins」を選択する可能性を持ち続けている。

@ エペソ1:7
【TEV】For by the blood of Christ we are set free, that is, our 「sins」 are forgiven. How great is the grace of God,

@コロサイ1:14
【TEV】 by whom we are set free, that is, our 「sins」 are forgiven.
 
*十字架による救済の原理
十字架による神の救済は、「内在の罪」と「罪過」の両方の処理を、一度で完全に対応している。それは始祖人アダムが全人類の代表であったこと同様に、イエスが全人類の代表として死なれた事と、罪過のある罪人の身代わりに死なれた事の、二つの事象による。

 

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