I.D.F.

Independent Disciple fellowship

キリスト教vsキリスト生活

①宗教と信仰

.宗教とは [religion] 原意:結びなおす

「善悪の知識の木」の生き方

人の取り繕い → イチジクの葉 創世記3:7

神との関り → 犠牲を払う 創世記4:3

 

自己の取り繕い → 人に見せるための善行(マタイ6:1-7)。

人間本位の神(崇拝対象)への礼拝行為 → ダビデの荷車(Ⅰ歴13:1-14)。

例:祈祷、賽銭、儀式、修行、建築

 

キリスト教

[Christianism ]  造語「Christian」+「ism」

キリストおよび使徒たちの教えを基に、人の方法や知恵により宗教化したもの。

人の方法や知恵 ➡ 異教文化の混入

 

キリスト教[Christianism ]という宗教では、イエスを見上げ、御名を呼び求めつつ、「肉」で生きている。別の視点で捉えると、イエスの名によって自己の幸いを求め、自分に都合のよいものを受け、自分を喜ばせることを求める。自己中心、自己実現、自己繁栄、自己満足というように、意識は「自己」すなわち「私」。

 

献金、奉仕 ⇒ 善行は、「救い」の手段ではない 

主日礼拝 ⇒ 礼拝は場所や時間に束縛されない 

→ ヨハネ4:21-24

*教役者と信徒の区別 (ニコライ派・黙示録2:6、2:15)⇒ 万人祭司

→ マタイ23:5-10

 

③キリスト生活

[Christianity]  

神本位の価値基準である「キリスト」に基づく、神に受け入れてもらう唯一の方法。

信仰とは[faith] 意:「信覚」

→ 霊で「直覚」したモノが、魂において「知・情・意」により表現される。

 

神の恵み → 皮の衣 創世記3:21 → ヨハネ3:16

神との関り → 犠牲を払ってくださった → ヨハネ19:30「完済:テテレスタイ」

 

キリスト生活[Christianity]という生き方は、キリストの死と復活に包括された事実を認め、キリストの復活のいのちにより、「新しい創造」として、神の子(キリストとの共同相続者)、キリストの弟子、小羊の花嫁、としての自己存在認識をもち、生きること。

 「永遠のいのち」(ヨハネ17:3)を体験的にも知り、その支配が現されることを求める生き方。

神中心、神の働き、神の満足というように、意識は「神」また「キリスト」。

 

イエス・キリストは、宗教から解放する → マタイ11:28-30

*救いの条件はキリストへの信仰による → Ⅰコリント15:3-5 エペソ2:8

*「行為」は信仰の結果  → ローマ10:10 ヤコブ2:20-24