I.D.F.

Independent Disciple fellowship

聖書の提示する『教会』の考察①

★原語の意味

邦訳聖書の「教会」は、ギリシャ語の「エクレシア」。

「エク(外へ)」と、「レシア(呼ぶ)」という言葉から、「呼び集められた人々」、「集会」、「会衆」を意味する。

本来は、古代ギリシャ都市国家における「市民集会」を指す。

 

⇒日本語の「教会」の漢字にある「教え」という意味はない。

⇒「キリストに召しだされた人々」を意味するのであれば、邦語訳では回復訳の「召会」が適当。適訳は「召衆」。

 

★聖書の提示する「教会」とは

①キリストのからだとしての「教会」

使徒行伝2章で出現した、普遍的教会。

 

@マタイ伝16:18【新改訳2017】
そこで、わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの「教会」を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。

 

@エペソ1:23【新改訳2017】
 「教会」はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。

*「ところ」というのは意訳。

【口語訳】
この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない。

【前田訳】

集会は彼の体で、すべてをすべてに全うなさる方による完成そのものです。

【回復訳】

この召会は、キリストのからだであり、すべての中ですべてを満たしている方の豊満です。

 

@エペソ5:29-32【新改訳2017】
いまだかつて自分の身を憎んだ人はいません。むしろ、それを養い育てます。

キリストも教会に対してそのようになさるのです。私たちはキリストのからだの部分だからです。

「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」
 この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。

 

*30節:TR「私たちはキリストのからだ、彼の肉であり、彼の骨だからです。」

 

@コロサイ1:24【新改訳2017】
今、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。私は、キリストのからだ、すなわち教会のために、自分の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。

 

キリスト者の共同体としての「教会」

時代また地域に存在する、キリスト者の集まり。

 

@Ⅰコリント1:2【新改訳2017】
コリントにある神の教会へ。すなわち、いたるところで私たちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人とともに、キリスト・イエスにあって聖なる者とされ、聖徒として召された方々へ。主はそのすべての人の主であり、私たちの主です。

 

★共同体としての「教会」の目的

「教会」の存在目的は、「霊拝」である。

 

ヨハネ伝4:23-24【新改訳2017】
しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。 神は霊ですから、神を礼拝する人は、霊と真理によって礼拝しなければなりません。

 

「この山でもなく、エルサレムでもないところで、あなたがたが父を礼拝する時が来ます。」(ヨハネ伝4:21)と言われるように、宗教の儀式、行事、催しによるのではない「霊拝」また「霊拝者」を求められた。

 

この「霊拝」は、「キリストの霊」(ローマ8:9-15)による「新しい創造」(ガラテヤ6:15)として、神の御前で、神の子として、神と生きることである。

それは「新しい創造」が、「真理」であるキリストの血潮と聖名により「父なる神」を拝する事、また「真理」であるキリストに生きることが、新約における「礼拝」である。

 

この「新創造」の共同体が「教会」である。

その「教会」は、使徒たちの教え、交わり、パン裂き、祈り、を保っていた。

 

使徒行伝2:42【新改訳2017】
彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。

 

使徒たちの教え

使徒たちは、主イエスの言葉と行いを伝え、旧約聖書を解説していた。

 

⇒今日においては、旧約・新約聖書の提示する内容を伝える。

 

@Ⅱコリント11:3-4【新改訳2017】
蛇が悪巧みによってエバを欺いたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真心と純潔から離れてしまうのではないかと、私は心配しています。
実際、だれかが来て、私たちが宣べ伝えなかった別のイエスを宣べ伝えたり、あるいは、あなたがたが受けたことのない異なる霊や、受け入れたことのない異なる福音を受けたりしても、あなたがたはよく我慢しています。

 

@Ⅱテモテ4:2-4【新改訳2017】
みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
というのは、人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め、真理から耳を背け、作り話にそれて行くような時代になるからです。

 

使徒信条について

使徒信条は、古来の洗礼式における信条を基本とし、使徒たちの信仰のまとめとみなされている。

唱えることに意味はないが、異端を排除するための指針であり、内容を理解しておくことは有益。

 

②交わりを持つ

広義でいえばキリスト者の「親睦」であり、今日的にはこちらの意味が強い。だが、狭義でいえばキリスト者の「奉仕」であり、「教会」を建てあげる働きである。

 

@コロサイ3:16【新改訳2017】
キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。

 

@Ⅰテサ5:10-11【新改訳2017】
主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目を覚ましていても眠っていても、主とともに生きるようになるためです。
ですからあなたがたは、現に行っているとおり、互いに励まし合い、互いを高め合いなさい。

 

@へブル10:23-25【新改訳2017】
約束してくださった方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白し続けようではありませんか。
また、愛と善行を促すために、互いに注意を払おうではありませんか。
ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう。その日が近づいていることが分かっているのですから、ますます励もうではありませんか。

 

@Ⅰペテロ4:8-10【新改訳2017】
何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。
不平を言わないで、互いにもてなし合いなさい。
それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。

 

③パンを裂く

主キリストを記念して、パンと杯を取り、主の死を宣言する。

 

ヨハネ伝6:53-57【新改訳2017】
エスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。
わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物なのです。
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしもその人のうちにとどまります。
生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。

 

@Ⅰコリント10:16-17【新改訳2017】
私たちが神をほめたたえる賛美の杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。私たちが裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。
パンは一つですから、私たちは大勢いても、一つのからだです。皆がともに一つのパンを食べるのですから。

 

@Ⅰコリント11:23-26【新改訳2017】
私は主から受けたことを、あなたがたに伝えました。すなわち、主イエスは渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげた後それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」
食事の後、同じように杯を取って言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」
ですから、あなたがたは、このパンを食べ、杯を飲むたびに、主が来られるまで主の死を告げ知らせるのです。

 

④祈り

キリスト者の特権は「イエス・キリストの聖名の中で」祈ることである。

それはへブル的な「代理人」であり、法的には「当人」とみなされる(マタイ伝8:5とルカ伝7:1を参照)。

 

ヨハネ伝16:23-27【新改訳2017】
その日には、あなたがたはわたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしの名によって父に求めるものは何でも、父はあなたがたに与えてくださいます。
今まで、あなたがたは、わたしの名によって何も求めたことがありません。求めなさい。そうすれば受けます。あなたがたの喜びが満ちあふれるようになるためです。
わたしはこれらのことを、あなたがたにたとえで話しました。もはやたとえで話すのではなく、はっきりと父について伝える時が来ます。
その日には、あなたがたはわたしの名によって求めます。あなたがたに代わってわたしが父に願う、と言うのではありません。
父ご自身があなたがたを愛しておられるのです。あなたがたがわたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからです。

 

@マタイ伝6:9-13【新改訳2017】
ですから、あなたがたはこう祈りなさい。

『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。
御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。
私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください。』

 

@マタイ伝18:18-20【新改訳2017】
まことに、あなたがたに言います。何でもあなたがたが地上でつなぐことは天でもつながれ、何でもあなたがたが地上で解くことは天でも解かれます。
まことに、もう一度あなたがたに言います。あなたがたのうちの二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。

 

@ピリピ4:6-7【新改訳2017】
何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

 

@Ⅰテモテ2:1-3【新改訳2017】
そこで、私は何よりもまず勧めます。すべての人のために、王たちと高い地位にあるすべての人のために願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい。
それは、私たちがいつも敬虔で品位を保ち、平安で落ち着いた生活を送るためです。
そのような祈りは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることです。

 

★宣教への備え

大宣教命令は、主イエスの昇天前に与えられたが、すぐには実現されなかった。

 

@マタイ伝28:18-20【新改訳2017】
エスは近づいて来て、彼らにこう言われた。

「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。
ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、
わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」

 

使徒行伝2:42に記述されるように、使徒たちの教え、交わり、パン裂き、祈り、を保つことで「教会」は成長し、使徒行伝8章以降の「教会」の拡がりへの備えとなった。

現代においても、健全な聖書理解を持ち、交わり、パン裂き、祈りによって、「教会」は成長し、拡がりに備えられるだろう。

 

@Ⅰペテロ3:14-15【新改訳2017】
たとえ義のために苦しむことがあっても、あなたがたは幸いです。人々の脅かしを恐れたり、おびえたりしてはいけません。
むしろ、心の中でキリストを主とし、聖なる方としなさい。あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい。

 

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