I.D.F.

Independent Disciple fellowship

健全な教えについて

 

使徒パウロは、自分の「子」と呼ぶ、テモテ、テトスというふたりの同労者に、「健全な教え」、また「健全な言葉」の大切さを伝えている。

「健全」とは、健康的、衛生的の意味。

 

以下、協共訳を引用。

 

@Ⅰテモテ1:8-10
1テモ 1:8 私たちは、律法はふさわしく用いるならば良いものであると知っています。
1テモ 1:9 すなわち、律法は、正しい者のためにあるのではなく、不法な者や不従順な者、不敬虔な者や罪を犯す者、神を畏れぬ者や俗悪な者、父を殺す者や母を殺す者、人を殺す者、
1テモ 1:10 淫らな行いをする者、男色をする者、誘拐する者、?をつく者、偽証する者のためにあり、そのほか健全な教えに反することがあれば、そのためにあると知っています。

 

@Ⅰテモテ6:2-5

1テモ 6:2 これらのことを教え、勧めなさい。
1テモ 6:3 異なる教えを説き、私たちの主イエス・キリストの健全な言葉にも、敬虔に適う教えにも従わない者がいれば、
1テモ 6:4 その人は気が変になっていて、何も分からず、議論をしたり言葉の争いをしたりする病気にかかっているのです。そこから、妬み、争い、冒?、邪推、
1テモ 6:5 果てしのないいがみ合いが生じるのです。これらは、知性が腐って真理を失い、敬虔を利得の道と考える者たちの間で起こるものです。

 

@Ⅱテモテ1:13
2テモ 1:13 キリスト・イエスにある信仰と愛をもって、私から聞いた健全な言葉を手本としなさい。

 

@テトス1:7-11
テト 1:7 監督は、神の家の管理者として、とがめられる点があってはなりません。わがままでなく、すぐに怒らず、酒に溺れず、乱暴でなく、恥ずべき利益を貪らず、
テト 1:8 客を手厚くもてなし、善を愛し、慎みがあり、正しく、清く、自制心があり、
テト 1:9 教えに適った信頼すべき言葉をしっかり守る人でなければなりません。それは、健全な教えによって人を励まし、また、反論する人たちを正すことができるためです。
テト 1:10 実は、不従順な者、無益な話をする者、人を欺く者が多いのです。特に、割礼を受けた人々がそうです。
テト 1:11 彼らの口を封じなければなりません。彼らは、恥ずべき利益を得るために、教えてはならないことを教え、すべての家庭を壊しています。

 

 

これらテモテとテトスへの手紙の記述を要約すると、3点にまとめられる。

 

要点①

律法を無視する教えは、健全ではない(*律法に束縛されるものは「福音」ではない)。

律法は神の教えであり、律法自体は聖なるもの。それは罪を定めるためのものであり、キリストを指し示す。

律法は地上的な選民イスラエルに与えられたもの。

異邦人はシナイ契約の当事者ではないので、そもそも律法の支配下にはない。

またキリスト者は、イエスの十字架死の内にあって、すでに律法の裁きを受けた存在。

 

使徒15:19-21
使徒 15:19 それで、私はこう判断します。神に立ち帰る異邦人を悩ませてはなりません。
使徒 15:20 ただ、偶像に供えて汚れた物と、淫らな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるようにと、手紙を書くべきです。
使徒 15:21 モーセの律法は、昔からどの町にも告げ知らせる人がいて、安息日ごとに会堂で読まれているからです。

 

 

要点②

高慢にさせる、神への疑いを抱かせる、真理を惑わせる、また論争を生じさせるもの、これらは健全ではない。

 

@Ⅱコリント11:4
2コリ 11:4 なぜなら、あなたがたは、誰かがやって来て私たちが宣べ伝えたのとは別のイエスを宣べ伝えたり、あるいは、あなたがたがかつて受けたことのない異なった霊や、受け入れたことのない異なった福音を受けているのに、よく我慢しているからです。

 

 

要点③

敬虔を利得の手段とし、利を得ようとするものは、健全ではない。

4世紀にローマによる国教化 → 職業としての聖職者

 

@Ⅰペテロ5:1-3
1ペト 5:1 私は長老の一人として、また、キリストの受難の証人、やがて現れる栄光にあずかる者として、あなたがたのうちの長老たちに勧めます。
1ペト 5:2 あなたがたに委ねられている、神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく、神に従って、自ら進んで世話をしなさい。恥ずべき利得のためにではなく、本心から、そうしなさい。
1ペト 5:3 割り当てられた人々を支配しようとせず、むしろ、群れの模範になりなさい。

*福音に仕えることから日常の必要を得ることは適当。

 

 

@Ⅰテモテ6:3

「主イエス・キリストの健全なことばと敬虔にかなう教えに同意する」 

➡「聖書を事実と認めていく」

➡「世の価値観を捨てていく」

➡「聖書の価値基準で思考する」 

 

 

参照

 

詩編1:1-3
詩 1:1 幸いな者/悪しき者の謀に歩まず/罪人の道に立たず/嘲る者の座に着かない人。
詩 1:2 主の教えを喜びとし/その教えを昼も夜も唱える人。
詩 1:3 その人は流れのほとりに植えられた木のよう。/時に適って実を結び、葉も枯れることがない。/その行いはすべて栄える。

*唱える=深く思いをこらす、思いめぐらす、瞑想する

 

 

@マルコ伝4:26-29

マル 4:26 また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が地に種を蒔き、
マル 4:27 夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。
マル 4:28 地はおのずから実を結ばせるのであり、初めに茎、次に穂、それから穂には豊かな実ができる。
マル 4:29 実が熟すと、すぐに鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」

 

「どのようにしてか、人は知りません」 → いのちの働き

健全さに伴う「いのち」の結果が「実」をもたらす。

 

 

@ルカ伝6:43-44
ルカ 6:43 「悪い実のなる良い木はなく、また、良い実のなる悪い木もない。
ルカ 6:44 木はそれぞれ、その実で分かる。茨からいちじくは採れず、野ばらからぶどうを摘むこともない。
ルカ 6:45 善い人はその心の良い倉から良い物を出し、悪い人は悪い倉から悪い物を出す。およそ心から溢れ出ることを、口は語るのである。」

 

 

ヨハネ伝15:4-5
ヨハ 15:4 私につながっていなさい。私もあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、私につながっていなければ、実を結ぶことができない。
ヨハ 15:5 私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。人が私につながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。私を離れては、あなたがたは何もできないからである。

 

 

イエス・キリストによって、実を結ばせるものは、健全な教え。

それは、安息、柔和、が伴う。

 

 

@マタイ伝11ー29
マタ 11:29 私は柔和で心のへりくだった者だから、私の軛を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に安らぎが得られる。

 

@ヘブル4:10ー12
ヘブ 4:10 実際、神の安息に入った者は、神が御業を終えて休まれたように、自分の業を終えて休んだのです。
ヘブ 4:11 だから、私たちはこの安息に入るように努めようではありませんか。さもなければ、同じ不従順の例に倣って落伍する者が出るかもしれません。
ヘブ 4:12 神の言葉は生きていて、力があり、いかなる両刃の剣より鋭く、魂と霊、関節と骨髄とを切り離すまでに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができます。

 

 

 

人が「正しさ」を主張する際に、安息しているか、柔和であるか。

 

正しさは外の取り繕いで装うことができるが、健やかさは内から流れ出る。

 

 

正しい教えは、「善悪の知識の木」の領域で、主張することも。

⇒ 律法主義、偽善、

 

健やかな教えは、「いのちの木」の領域に導く。

⇒ 柔和、安息、