I.D.F.

Independent Disciple fellowship

初歩の教え3⃣信仰

@へブル6:1【新改訳2017】
6:1 ですから私たちは、キリストについての初歩の教えを後にして、成熟を目指して進もうではありませんか。死んだ行いからの回心、神に対する信仰、
6:2 きよめの洗いについての教えと手を置く儀式、死者の復活と永遠のさばきなど、基礎的なことをもう一度やり直したりしないようにしましょう。

 

1⃣キリストについての教え

2⃣死んだ行いからの回心

3⃣信仰

4⃣清めの洗い

5⃣手を置く儀式

6⃣死者の復活

7⃣永遠の裁き

 

3⃣信仰

「信仰」は、「信じて仰ぐ」という、人の行為や動作ではない。

 

①信仰の定義

@へブル11:1

【新改訳2017】
さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。

【協共訳】
信仰とは、望んでいる事柄の実質であって、見えないものを確証するものです。

 

「望んでいることの実体化、目に見えないものの立証」とも訳すことが可能。

 

それは「父なる神への忠実さ」である。

 

@へブル11:6

【新改訳2017】
信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。

【協共訳】
信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神がご自分を求める者に報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。

 

@へブル12:2

【新改訳2017】
 信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。

【協共訳】
信仰の導き手であり、完成者であるイエスを見つめながら、走りましょう。この方は、ご自分の前にある喜びのゆえに、恥をもいとわないで、十字架を忍び、神の王座の右にお座りになったのです。

 

望んでいること、目に見えないもの、⇒ 「ご自分の前に置かれた喜び」

          実体化、立証 ⇒ 「十字架を忍び」

 

例:銀行の通帳

銀行の通帳に記載された入金記録への安心。これは現金を手にしていない状態であっても、すでに得た、と認めている結果。この場合、銀行の通帳への忠実さ、がある。

そうでなければ、現金を手にするまで、安心はできない。

 

望んでいること、目に見えないもの、⇒ 現金

          実体化、立証 ⇒ 安心

 

例:自動車の運転

自動車を運転中、交差点に進入する際、青信号を見て、減速せず、停止せず、通過する。これは、交差する道路の自動車は停止する、と認めている結果。

この場合、信号機への忠実さがある。そうでなければ、減速もしくは停止する。

 

望んでいること、目に見えないもの、⇒ 交差する道路の自動車の停止

          実体化、立証 ⇒ 減速せず、停止せず、

 

 

例の様に、聖書の記述を事実と認めることは、聖書への忠実さがある、といえる。

そしてそれは、行いによって実体化、立証される。

 

@ローマ10:9-10

【新改訳2017】
10:9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。
10:10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

【協共訳】
10:9 口でイエスは主であると告白し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。

10:10 実に、人は心で信じて義とされ、口で告白して救われるのです。

 

*9節の「主」とは「キュリオス」

権力者、支配者、主人、の意味。聖書執筆時代、ローマ皇帝の正式な称号。

当時のユダヤ人には「ヤハウェ」を意味する。

 

望んでいること、目に見えないもの、⇒ 神はイエスを死者の中からよみがえらせた

          実体化、立証 ⇒ あなたの口でイエスを主と告白

 

 

ヤコブ2:14-24【新改訳2017】
2:14 私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立つでしょうか。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。
2:15 兄弟か姉妹に着る物がなく、毎日の食べ物にも事欠いているようなときに、
2:16 あなたがたのうちのだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹になるまで食べなさい」と言っても、からだに必要な物を与えなければ、何の役に立つでしょう。

2:17 同じように、信仰も行いが伴わないなら、それだけでは死んだものです。
2:18 しかし、「ある人には信仰があるが、ほかの人には行いがあります」と言う人がいるでしょう。行いのないあなたの信仰を私に見せてください。私は行いによって、自分の信仰をあなたに見せてあげます。
2:19 あなたは、神は唯一だと信じています。立派なことです。ですが、悪霊どもも信じて、身震いしています。
2:20 ああ愚かな人よ。あなたは、行いのない信仰が無益なことを知りたいのですか。
2:21 私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇に献げたとき、行いによって義と認められたではありませんか。
2:22 あなたが見ているとおり、信仰がその行いとともに働き、信仰は行いによって完成されました。
2:23 「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。
2:24 人は行いによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことが分かるでしょう。

【協共訳】
2:14 私のきょうだいたち、「私には信仰がある」と言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、その人を救うことができるでしょうか。2:15 もし、兄弟か姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、2:16 あなたがたの誰かが、その人たちに、「安心して行きなさい。暖まりなさい。存分に食べなさい」と言いながら、体に必要なものを与えないなら、何の役に立つでしょうか。

2:17 同じように、信仰もまた、行いが伴わなければ、それだけでは死んだものです。2:18 逆に、こう言う者もいるでしょう。「あなたには信仰があり、私には行いがある。行いのないあなたの信仰を見せてください。そうすれば、私も行いによって、私の信仰を見せましょう。」
2:19 あなたは、神はただおひとりだと信じています。それは結構なことです。悪霊どもでさえそう信じて、身震いしています。2:20 ああ、愚かな者よ、行いのない信仰は役に立たないということを知りたいのですか。2:21 私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇に献げたとき、行いによって義とされたではありませんか。
2:22 あなたの見ているとおり、信仰が彼の行いと共に働き、信仰が行いによって完成されたのです。
2:23 こうして「アブラハムは神を信じた。それが彼の義と認められた」という聖書の言葉が実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。2:24 これで分かるように、人は行いによって義とされるのであって、信仰だけによるのではありません。

 

もし、主イエスが「ご自分の前に置かれた喜び」を認めつつも、十字架を避けていれば、「ご自分の前に置かれた喜び」は実体化されていない。

 

 

イエス・キリストの信仰(父なる神への忠実さ)

 

@ガラテヤ2:20

【新改訳2017】
もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。

【協共訳】
生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです。私が今、肉において生きているのは、私を愛し、私のためにご自身を献げられた神の子の真実によるものです。

 

神の御子に対する信仰

イエス・キリストへの信仰 ⇒ 人の父なる神への忠実さ

 

神の子の真実

イエス・キリストの信仰 ⇒ イエス・キリストの父なる神への忠実さ

 

人の父なる神への忠実さでは、人は救われない。

そのために、神の御子が人となり、罪なく、全人類の代表として、十字架についた。

 

@Ⅰヨハネ4:9-10【新改訳2017】
4:9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。
4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

 

このイエス・キリストの父なる神への忠実さが、人を救う。

 

@ローマ3:22

【新改訳2017】
すなわち、イエス・キリストを信じることによって、信じるすべての人に与えられる神の義です。そこに差別はありません。

【協共訳】 
神の義は、イエス・キリストの真実によって、信じる者すべてに現されたのです。そこには何の差別もありません。

 

「すなわち、イエス・キリストの信仰(父なる神への忠実さ)によって、(そのイエスを)信じるすべての人に与えられる神の義です。そこに差別はありません。」

 

@ローマ3:25

【新改訳2017】
3:25 神はこの方を、信仰によって受けるべき、血による宥めのささげ物として公に示されました。ご自分の義を明らかにされるためです。神は忍耐をもって、これまで犯されてきた罪を見逃してこられたのです。

【協共訳】
神はこのイエスを、真実による、またその血による贖いの座とされました。それは、これまでに犯されてきた罪を見逃して、ご自身の義を示すためでした。          

 

「神はこの方を、その信仰(父なる神への忠実さ)をとおして、血による宥めのささげ物として公に示されました。」

 

 

③人の信仰(父なる神への忠実さ)

 

@マタイ伝8:8-10

【新改訳2017】
8:8 しかし、百人隊長は答えた。「主よ、あなた様を私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば私のしもべは癒やされます。
8:9 と申しますのは、私も権威の下にある者だからです。私自身の下にも兵士たちがいて、その一人に『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。また、しもべに『これをしろ』と言えば、そのようにします。」
8:10 イエスはこれを聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた。「まことに、あなたがたに言います。わたしはイスラエルのうちのだれにも、これほどの信仰を見たことがありません。

【協共訳】

 8:8 すると、百人隊長は答えた。「主よ、私はあなたをわが家にお迎えできるような者ではありません。ただ、お言葉をください。そうすれば、私の子は癒やされます。
 8:9 私も権威の下にある人間ですが、私の下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また、僕に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」
8:10 イエスはこれを聞いて驚き、付いて来た人々に言われた。「よく言っておく。イスラエルの中でさえ、これほどの信仰は見たことがない。

 

@マタイ伝15:28

【新改訳2017】
15:28 そのとき、イエスは彼女に答えられた。「女の方、あなたの信仰は立派です。あなたが願うとおりになるように。」彼女の娘は、すぐに癒やされた。

【協共訳】
15:28 そこで、イエスはお答えになった。「女よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」その時、娘の病気は癒やされた。

 

@ルカ伝8:25

【新改訳2017】
8:25 イエスは彼らに対して、「あなたがたの信仰はどこにあるのですか」と言われた。弟子たちは驚き恐れて互いに言った。「お命じになると、風や水までが従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろうか。」

【協共訳】

8:25イエスは、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言われた。弟子たちは恐れ驚いて、「一体、この方はどなたなのだろう。命じれば風も水も従うではないか」と互いに言った。

 

人の信仰は、神のわざである。

@ヨハネ6:29

【新改訳2017】
6:29 イエスは答えられた。「神が遣わした者をあなたがたが信じること、それが神のわざです。」

【協共訳】
6:29イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」

 

 

④神の信仰(神のご自身への忠実さ)

 

神にとっては、超自然が、自然である。

 

@ローマ4:17

【新改訳2017】
4:17 「わたしはあなたを多くの国民の父とした」と書いてあるとおりです。彼は、死者を生かし、無いものを有るものとして召される神を信じ、その御前で父となったのです。

【協共訳】
ロマ 4:17「私はあなたを多くの国民の父とした」と書いてあるとおりです。彼はこの神、すなわち、死者を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのです。

 

神は「アーメン」なるお方であり、ご自身に対して、ご自分の言葉に対して、忠実であられる。

 

@マルコ伝11:21-23

【新改訳2017】
11:21 ペテロは思い出して、イエスに言った。「先生、ご覧ください。あなたがのろわれた、いちじくの木が枯れています。」
11:22 イエスは弟子たちに答えられた。「神を信じなさい
11:23 まことに、あなたがたに言います。この山に向かい、『立ち上がって、海に入れ』と言い、心の中で疑わずに、自分の言ったとおりになると信じる者には、そのとおりになります。

【協共訳】
11:21 そこで、ペトロは思い出してイエスに言った。「先生、御覧ください。あなたが呪われたいちじくの木が、枯れています。」
11:22 イエスは言われた。「神を信じなさい。
11:23 よく言っておく。誰でもこの山に向かって、『動いて、海に入れ』と言い、心の中で少しも疑わず、言ったとおりになると信じるならば、そのとおりになる。

 

*22節「神の信仰を持ちなさい」

 

 「新約の聖徒」には、霊の賜物、霊の現れ、が与えられる。

その中に、超自然的な信仰が含まれている。

 

@Ⅰコリント

【新改訳2017】
12:7 皆の益となるために、一人ひとりに御霊の現れが与えられているのです。
12:8 ある人には御霊を通して知恵のことばが、ある人には同じ御霊によって知識のことばが与えられています。
12:9 ある人には同じ御霊によって信仰、ある人には同一の御霊によって癒やしの賜物、

【協共訳】

一人一人に霊の働きが現れるのは、全体の益となるためです。
ある人には、霊によって知恵の言葉、ある人には同じ霊に応じて知識の言葉が与えられ、
ある人には同じ霊によって信仰、ある人にはこの唯一の霊によって癒やしの賜物、