I.D.F.

Independent Disciple fellowship

「過ぎ越し」と「パン裂き」

今日は、2021年の過ぎ越しの日です。「過越し」は、旧約聖書出エジプト記に記録されています。出エジプト記の記録によれば、神がエジプトで奴隷とされていた古代イスラエル人を解放する際、神に従うイスラエル人に家の戸口に羊の血で印をつけるよう教えました。神はエジプトにいるすべての長子に死をもたらすことを決められました。その裁きはエジプトへの裁きであり、神に従うイスラエル人の家には何もせずに過ぎ越していきました。 現代のユダヤ教徒は家族で集まり、セーダーと呼ばれる過越しを象徴する食べ物で、お祝いの食事をします。

 

出エジプト記12章に、イスラエル人がエジプトから脱出した際、過ぎ越しの事が記述されています。

家族ごとに1歳の羊を取り、それを四日間特別に扱います。そして、その羊を屠った血を家の戸口に塗り、神に従う家であることを表しました。そして神の裁きの夜、すべての長子を打つ「死」は、その血がある家には入らずに、通り過ぎました。これが「過ぎ越し」です。そして、この過ぎ越しの後、イスラエル人は、エジプトから脱出し、自由の民となります。

 

これは、「新約の聖徒」である私たちクリスチャンが、この世から救われることの原型、雛形です。エジプトは「この世」の象徴であり、そこから脱出することは「救い」の象徴です。小羊の血が塗られた家を「死」が通り越したように、イエス・キリストの十字架の血によって、「新約の聖徒」は「死」から救われ、守られ、勝利します。

 

この「過ぎ越し」ということを覚えておくと、イエス・キリストがどのような方か、具体的になります。

ヨハネ伝1:29で洗礼者ヨハネは、こう言いました。

 

ヨハネ伝1:29【新改訳2017】

1:29その翌日、ヨハネは自分の方にイエスが来られるのを見て言った。

「見よ、世の罪を取り除く神の子羊

 

この一言で、この方が真実な「過ぎ越し」の小羊であり、この方の血によって、私たちは「死」から救われ、彼の肉を食べることによって、「新しい命」を得る、ということが語られています。

 

主イエスは、ご自分のことをこのように教えています。

 

 

 

 

 

ヨハネ伝【新改訳2017】

6:53 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。

6:54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。

6:55 わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物なのです。

 

6:56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしもその人のうちにとどまります。

6:57 生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。

6:58 これは天から下って来たパンです。先祖が食べて、なお死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます。」

 

この言葉は、イエスの弟子たちの多くに受け入れられませんでした。人の肉を食べる、血を飲む、ということは到底、受け入れがたい事でした。多くの弟子たちが、イエスのもとを去っていきました。

もし、洗礼者ヨハネの言った「世の罪を取り除く神の子羊」の意味を理解し、覚えていれば、主イエスがなにを伝えようとしていたのか、理解できたのかもしれません。

 

当時の弟子たちが主イエスの言葉につまずいて、彼から離れてしまったように、現代に生きる「新約の聖徒」である私たちも、聖書の言葉をよく理解できずに、自分の価値観や思い込みを優先して生きてしまうことがあります。

聖書の言葉は、同じ事柄について、複数の聖書の部分でどう記述されているか、確認できるように書かれています。

 

@イザヤ34:16【新改訳2017】

34:16 【主】の書物を調べて読め。これらのもののうち、どれも失われていない。それぞれ自分の伴侶を欠くものはない。それは、主の口がこれを命じ、主の御霊がこれらを集めたからである。

 

ヨハネ伝8:17【新改訳2017】

8:17 あなたがたの律法にも、二人の人による証しは真実であると書かれています。

 

ですので、聖書のいろいろな部分を読み、理解していくことが、大切です。

聖書は、人の幸せ、について教えています。聖書を知ればより、幸せ、を獲得することができます。

 

この集いでは「パン裂き」をして、主イエス・キリストを記念しています。この「パン裂き」は、主イエスが十字架に架かる前の最後の食事、主イエスと弟子たちの「過ぎ越し」の食事の際に与えられた「新しい契約」を思い起こすためのものです。

 

@エレミヤ31:31-33【新改訳2017】

31:31 見よ、その時代が来る──【主】のことば──。そのとき、わたしはイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約を結ぶ。

31:32 その契約は、わたしが彼らの先祖の手を取って、エジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破った──【主】のことば──。

 

31:33 これらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうである──【主】のことば──。わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

 

この内容は、新約聖書のへブル8章で解説されていますので、あとでお読みになってください。

この「新しい契約」は、イエス・キリストによって、イスラエル人をはじめ、すべての異邦人に与えられましたので、「キリスト契約」とも呼ばれます。

いま、私たちが「パン裂き」を繰り返し行うのは、イエス・キリストにあるこの契約を、確認していることになります。

 

そこで今日は、この「パン裂き」の際に、なにを確認するのかということと、この「パン裂き」でどのような益を得るのか、考えてみたいと思います

 

⇒ 「パン裂き」にある5つの確認と5つの益 - I.D.F.