I.D.F.

Independent Disciple fellowship

聖書の提示する「教会」の考察②

 

@エペソ1:23【新改訳2017】
 「教会」はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。

 

この「教会」=「エクレシア」は、キリストの充満(岩波訳)。

 

★「エクレシア」はキリストと同一のいのちを持つ

  

@創世記2:21-24【新改訳2017】
神である【主】は、深い眠りを人に下された。それで、人は眠った。主は彼のあばら骨の一つを取り、そのところを肉でふさがれた。
神である【主】は、人から取ったあばら骨を一人の女に造り上げ、人のところに連れて来られた。
人は言った。「これこそ、ついに私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。男から取られたのだから。」
それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。

 

ヨハネ伝19:33-34【新改訳2017】
エスのところに来ると、すでに死んでいるのが分かったので、その脚を折らなかった。
しかし兵士の一人は、イエスの脇腹を槍で突き刺した。すると、すぐに血と水が出て来た。

 

アダムの脇腹から取られた「あばら骨」からエバが「造られた」。

この「造られた」は、回復訳では「建造」と訳されている。

エスが十字架上で眠っている際に、わき腹から「血と水」が流れ出て、「エクレシア」が存在する。

 

血は「いのち」である。

 

@レビ17:14a【新改訳2017】
すべての肉のいのちは、その血がいのちそのものである。

 

水は「みことば」である。

 

@エペソ5:26-27【新改訳2017】
キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自分で、しみや、しわや、そのようなものが何一つない、聖なるもの、傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。

 

「エクレシア」は、キリストの「いのち」と「みことば」により、建てあげられる。

 

アダムとエバは人格は異なるが、同じ「いのち」を持っており、「骨からの骨、肉からの肉」というアダムの言葉にあるように、エバは反映であり、写しである存在。

同様に、「エクレシア」は、キリストの「いのち」を持っており、キリストの反映であり、写しである。

 

@エペソ5:29-32【新改訳2017】
いまだかつて自分の身を憎んだ人はいません。むしろ、それを養い育てます。

キリストも教会に対してそのようになさるのです。私たちはキリストのからだの部分だからです。

「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」
 この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。

 

@エペソ5:30【 KJV】

For we are members of his body, of his flesh, and of his bones.

なぜなら、私たちは彼の体の一部であり、彼の肉と骨の一部であるからです。

 

 

「エクレシア」は、「いのち」である「キリストの霊」をもっており、それは「神の種」とも呼ばれている。

 

@ ローマ8:9【新改訳2017】

しかし、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉のうちにではなく、御霊のうちにいるのです。もし、キリストの霊を持っていない人がいれば、その人はキリストのものではありません。

 

@Ⅰヨハネ3:9【新改訳2017】
神から生まれた者はだれも、罪を犯しません。神の種がその人のうちにとどまっているからです。その人は神から生まれたので、罪を犯すことができないのです。

 

「神から生まれた者」とは、「霊」のこと。

キリスト者は、救いの完成である「栄化」までは、罪を犯しうる存在。だが、その「霊」はすでに完全とされている。

 

「種」は、その生命の力と情報を持ち、環境が整えば、発芽し、成長し、実をつける。

 

★「エクレシア」はキリストと一体とされている

 

ヨハネ伝15:5【新改訳2017】
わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。

 

@ローマ6:5【新改訳2017】

私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです。

 

 

 【口語訳】
もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。

 

【回復訳】

もしわたしたちが、彼の死の様の中で中で彼と結合して生長したなら、彼の復活の様の中でも彼と結合して生長するのです。

 

@Ⅰコリント12:12-13【新改訳2017】

ちょうど、からだが一つでも、多くの部分があり、からだの部分が多くても、一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。
私たちはみな、ユダヤ人もギリシア人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によってバプテスマを受けて、一つのからだとなりました。そして、みな一つの御霊を飲んだのです。

@Ⅰヨハネ4:13【新改訳2017】

神が私たちに霊を与えてくださったことによって、私たちが神のうちにとどまり、神も私たちのうちにとどまっておられることが分かります。

 

★「エクレシア」はキリストを増殖する

 

@マルコ伝4:26-29【新改訳2017】
またイエスは言われた。「神の国はこのようなものです。人が地に種を蒔くと、
夜昼、寝たり起きたりしているうちに種は芽を出して育ちますが、どのようにしてそうなるのか、その人は知りません。
地はひとりでに実をならせ、初めに苗、次に穂、次に多くの実が穂にできます。
実が熟すと、すぐに鎌を入れます。収穫の時が来たからです。」

 

ヨハネ伝12:24【新改訳2017】
まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。

 

@Ⅰコリント3:9【新改訳2017】
私たちは神のために働く同労者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。

 

@コロサイ2:19b【新改訳2017】
このかしらがもとになって、からだ全体は節々と筋によって支えられ、つなぎ合わされ、神に育てられて成長していくのです。

 

【田川訳】

すべての身体はこの頭から発して、筋や筋によって支えられ、組み上げられて、

{神の成長を成長する}のである。

*神の成長を成長する ⇒ エロヒムの増殖を増殖する

 

★「エクレシア」の働き

エクレシアは、キリストと同一の「いのち」を持ち、一体とされ、増殖する。

 

キリスト者の「霊」に内住する「キリストの霊」が、その「魂」に浸透し、思い、意思、感情において、キリストが再現されることで、神とともに成長する。

@ガラテヤ4:19【新改訳2017】
私の子どもたち。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。

 

他のキリスト者と結び合わされ、建てあげられる。

@Ⅰペテロ2:5【新改訳2017】
主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが神には選ばれた、尊い生ける石です。
あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司となります。

 

キリストの福音により、救い(=キリストの増殖)を拡げる。

@マタイ伝28:19-20【新改訳2017】
ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。

父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。

見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。

 

 

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